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油井 清光   
神戸大学大学院人文学研究科 教授

@研究内容
 社会学をやってきたが、社会学というものは他の「老舗の」伝統的学問に比べて新参者だけに、自意識(自分は何者か、を説明しなければならない意識)が強い。社会学でなければならない何か、をいつも言い募って存在意義を示そうとするが、そのわりには研究対象として何にでも手を出して、結局、何者なのかいっそう怪しまれることになる。 とくに社会学理論をやってきたので、「自意識」の問題は避けてとおれなかった。他の学問との比較だけではない。「欧米」理論 対 「日本」的現実(どちらももちろん本当は一枚岩ではない)、という問題はその中でも厄介な代物である。「専門」としては、アメリカ合衆国の社会学とくにその学説史に取り組んできた。タルコット・パーソンズというおそらくは20世紀後半の世界の社会学を代表する一人であろう学者の研究に携わってきた。一人の「偉大な」学者という「窓」をとおして、何かを理解しようとする方法はいまでもそう悪くなかったと思っている。人にもよるし時代にもよるが、私はそういう時代に生き、そういう愚鈍な方法が性にあっていた。それで一生を終るタイプであると思っていたが、近年(といってもここ10年以上)は、最初はいわば「海外ネタ」(海外の学会や講義で話す内容)だった、グローバル化、比較近代化、マンガ、アニメ、といったテーマを真剣にやろうとしていることに気づくことになった。

@サブカルチャーとの接点
 フレドリック・ブラウンの短編SFで、たしか「ダブタインがその秘密だった」という一文で始まる鮮やかな一編があった。「ダブタイン」というのは、もちろん「アダプタイン」とうことであろうと思われ、いわば「適応薬」といったところであろう。宇宙船の中で、これから入植する植民地星に着く前に、船内で生まれた子供たちにこの「ダブタイン」を飲ませ、新たな過酷な環境に備えようというわけである。ところが、このダブタインで、子供たちはいわばモンスターとして育ってしまい、旧来の人類である親たちを「あまりに醜い人種」として殺害してしまうのである。 私のサブカルチャー研究との接点は、この話に似ている。最初は、海外生活や、海外の大学での講義、学会報告用に「適応」させるためのネタであったそれが、いつのまに「モンスター」に育って、いまや古い社会学理論研究家であるその生みの親を「抹殺」しようとしている。というのは大げさで、むしろこのネタのおかげで私はいままでにおそらく1ダース以上の都市に呼ばれて話をしてきている。端的に楽しい。しかも社会学理論とサブカルチャー研究とは密接に理論的に連関することがますます分かってきた。社会学におけるヴィジュアル・ターン論として、である。これについては、小論として、本ホームページの別の欄に紹介してもらうことにしよう。

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